夏の美味

 鱧の美味しい季節である。落としに仕立てて梅肉をのせるもよし、熱い出汁にくぐらせる鱧しゃぶもよし、甘辛く炊いて押し寿司や茶漬けにするもよし。いずれにしても、骨切りという熟練の技によって支えられた味である。
 もちろん、江戸時代も鱧は食されていた。近藤万丈『寝ざめの友』には次のように記されている。

かの鱧は、なべて上がた、中国あたりにては、めづるものにて、俗にいふかまぼこなどに調じてはいとよき味ひなれど、それは其肉ばかりこそ皮はたぐひなくかたきものにて、しかも皮には針を植えたるがごとく骨あるものなれど、待宵鱠てふ名は、かへすがへすもみやびたる名ならずや。

 万丈(1775-1848)は江戸の人だが、ある時、綾小路に住んでいる人から待宵鱠なるものを肴に酒を呑もうと誘われる。いまだ知らぬ料理に期待しつつ友人3人と訪ねてみると、ただ皿に大根を細かく刻んだのと魚の皮をまぜた料理が盛られるばかりで、他に肴も見当たらない。余程の珍味であろうと口に運んでみると、あにはからんや「いかにもかたくこれにこまかなる骨したたかにあ」ってとても喉を通らない。当然、友人たちも「くひもえず」。そこで漏らしたのが先のような感想なのである。
 1795年(寛政7)に『海鰻(はも)百珍』なる書が出版されていることから、すでに上方では夏の味として諸人に知られていたはずである。また、同書には皮鱠の調理法が記されており、「小骨むら立もの」なので「钁(けぬき)にて悉く拔取遣ふべし」としている。おそらく、招いた主は心尽くしのもてなしのつもりであったに違いない。不幸なことに腕が悪く、それが鱧への悪評につながったのであろう。せっかくの珍味も下処理なしでは台なしなのだ。
 ☆
 かように書きたるそばより、涎のしたたる心地せり。ささ、一献。