文理研を

 また少しあいた研究会は、新たなメンバーを迎える。面白かったのかどうかを聞きたかったのだが、タイミングを逃してしまった。次回、参加してくれるかどうかがその答えなんだろう。
 それにしても、「女としての〜」というときの「女」の規定は如何にしてなされるのか。もしそれが自明のものとして扱われるのだとしたら、果たしてフェミニズム的批評たりえるのだろうか。人はつい、わかりやすい相対化で物事を片付けてしまいがちである。ご多分に漏れないくちなので気をつけねばと思う。その「気づき」がディコンストラクションの効果(の一部)なのだとすれば、「思考の後退」であるはずはない。たぶん。