はや文月

 昨日は出身大学の学会に出席するため、京都市内まででかけた。院生と非常勤(卒業生)と今年の春に特任講師で着任された先生の、3名の発表を拝聴する。
 ひとつめは『新編金瓶梅』における呉服の役割を探るもの。貞女として描かれながら真の貞女でないことにより陵辱された呉服の〈再生〉をどのように捉えるかという意欲的な内容であったが、問題提起となる貞女の条件(とそれを支える思想)などがいまひとつ分かりにくかったように思う。
 ふたつめは『源平盛衰記』における長光寺縁起の意義を探るもの。平惟盛と源重衡とがパラレルに描かれているという指摘は、的確かつ面白いものだったと思う。
 みっつめはプロレタリア文学および民主主義文学をめぐる動向が反復していることを指摘するもの。国民文学論を主軸に据え、両者の反復を比較する過程をみていると、江戸末期の国学思想にも援用できるのではないかと思いつく。懇親会で発表者にうかがったところ、明治期の文学をめぐる状況が説明できなくなる旨のお返事をいただく。
 とくにふたつめ、みっつめは、現在、自身が考えていることにリンクする内容で、実りのある1日であった。
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 着任してはや3ヶ月。そろそろ本腰をいれ研究を進めねばと、褌を締めなおした次第。