喫食恐怖
人前で食事をするのが苦手だ。初対面ならなおさらで、自らの眼を通して確認できないその行為を、他者の視線に晒すには相当の勇気と覚悟がいる。
Aは俄然として、人間の手に違いなかった物がいつの間やら白菜の茎に化けてしまったことを発見する。いや、化けたというのはあるいは適当でないかもしれない。なぜかというのに、それは立派に白菜の味と物質とから成り立っていながら、いまだに完全な人間の指の形を備えているからである。現に人さし指と中指には元の通りにちゃんと指輪が嵌まっている。そうして掌から手頸の肉の方へ完全に連絡している。どこから白菜になり、どこから女の手になっているのか。その境目は全く分からない。いわば指と白菜との合の子のような物質なのである。 (谷崎潤一郎『美食倶楽部』)
これは白菜(正確には「火腿白菜」という料理)が女の指先のような感覚で味わい尽くされるというなんとも奇妙な場面である。だがしかし、「食べる」という行為に潜む官能的な側面がみごとに表現されている。「欲」という地平からみれば、「食」も「性」もそれほど大差はないのであろう。
一方、食べるという行為が生死をかけた切実さを際立たせることもある。
(明治三十四年)九月廿九日 曇 湯婆と懐炉を入れる
便通及繃帯
寒暖計 六十七度
朝飯 ぬく飯四わん あみ鰕佃煮 なら漬
牛乳五勺ココア入 菓子パン
午飯 さしみ 粥三わん みそ汁 佃煮 なら漬
牛乳五勺ココア入 菓子パン 梨一 りんご一
間食 菓子パン 塩せんべい 紅茶一杯半
夕 体温卅七度三分
鰻飯一鉢(十五銭)飯軟かにして善し 芋 糠味噌漬
夜便通 (正岡子規『仰臥漫録』)
明治34年9月2日からはじまる病床日記(まさに「仰臥」している)には、とうてい病人とは思えぬほどの食欲の痕跡が記されている。初日の条には「この頃食ひ過ぎて食後いつもはきかへす」とあり、まるで食べなければ死んでしまうという強迫観念に取り憑かれているようだ。食物を口から入れて尻から出す。この一連のサイクルこそが「生」の証しであり、すべてを羅列することにより「生」を確認する。これもまた「生きたい」という(究極の)欲のあらわれであるといえよう。
こうしてみると、やはり食べるという行為には常に剥き出しの欲がつきまとうことが確認されるのであり、ますます人前で食事をすることが嫌悪されることになる。あなおそろし。
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