冬の星空

 「月」を「観」るのに適した「橋」のたもとに住んでいる。
 谷崎潤一郎の『蘆刈』に登場する月見台も、豊臣秀吉が空の月、川面の月、池面の月、盃の月を一度に楽しんだといわれる月見台も、この辺りにあったとされている。いまでも満月の頃になると、見事な月を望むことができる。
 ところで、橘南谿は1793年(寛政5)に岩橋善兵衛が制作した望遠鏡を使用して天体観測をしたという*1。ちょうどこの頃、南谿は伏見に別宅を構えていた*2ので、そこに数名の知人を呼んで楽しんだのである。桃山の丘陵地であるから、京市中よりも適地といえよう。
 記録によると、太陽や月、木星土星、金星などを観察し、また、天の川については「細小の星数十百千聚て、紗嚢に蛍を盛ごとし」であったと称賛している。いまとは違い、肉眼でも充分に星々を眺めることはできたであろう。が、望遠鏡を通して見るその美しさに騒いでしまい、近所から苦情があったのだとか。
 彼らが観た初秋の空とは異なるけれども、冬の澄んだ空気のせいか今夜の星はひときわ美しい。いにしえより変わらず夜空を観るのに適したところであると、あらためて知る。

*1:橘南谿『望遠鏡観諸曜記』および伴蒿蹊『閑田次筆』を参照

*2:別宅「黄華堂」についてはこの記事で触れた