京の印象

 1781年(天明元)自叙の木室卯雲『見た京物語』は次のような文章ではじまる。

京は砂糖漬のやうなる所なり。一体雅有て味に比せば甘し。然ども、かみしめてむまみなし。からびたるやうにて潤沢なることなし。きれゐなれど、どこやらさびし。

 江戸の人であった卯雲は1766年(明和3)に幕命をうけて上京し、およそ1年半の間を京都で過ごしたとされている。その際の見聞をまとめたのがこの一書である。ちょっとした東西比較文化論といったところか。江戸の人らしく、京に対する辛口の批評が多くみられる。

花の都は、二百年前にて、今は花の田舎たり。田舎にしては花残れり。

 負け惜しみのように感じられなくもないが、手厳しい。

夜市夜談義、所々にあり。風なくして埃たゝず。喧嘩なく、すりやうのものなし。


六分女、四分男たるべし。夜も若き女ひとりありく。男女連立て歩行くを、少しも悪る口いふものなし。

 「喧嘩」がおこらないという点は十返舎一九の『東海道中膝栗毛』でも描写されており、「火事と喧嘩」が多かったとされる江戸から見ると奇異に映ったようである。また、男女比率と行動に関する記述も興味深い。余程、江戸では冷やかされたのだろうか、「少しも」ということばにその驚きぶりがみてとれる。
 こうした記述はほぼ『都名所図会』が出版された時期の京都に相当するので、いろいろなネタが拾えるし、面白くもある。