俳文研で

 京都俳文学研究会例会のため、午後、龍谷大学大宮学舎へ向かう。大学院の秋入試と重なっていたらしく、会場は本館1Fの応接室に変更。本館は重要文化財に指定されているので、少し得をした気分になる。
 ながらく不参加で、久しぶりの例会だった。会誌編集のお手伝いをすることになったわけだから、そうそう休んでもいられない。
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 参加してよかった、というのが率直な感想である。というのも、永井一彰先生のご発表が気になっていたからだ。「板木の「板前」」というタイトルで、「板前」ということばが何を指すのか見当もつかなかった。結論からいえば、板木の分け前のことを「板前」というとのこと。
 江戸時代の出版は複数の書肆が版権を持つこと(=相合板)が多く、それぞれが板木を所有することになっていた。つまり、権利を持つ書肆がひとつでも欠けると本が完成しないシステムになっていたのである。ただ、その分配や版権売買の動向についてはよくわかっていなかった。板木がまとまって残っていることが稀なのだから仕方がない。
 今回のご発表は、佐々木竹苞楼にあった板木を調査された研究成果の一部である。板木は相当な数にのぼり、また、「板前」の状況がわかる資料も残されていた。のみならず、豊富な経験にもとづく鋭いご指摘もあり、わくわくのしどおしだった。
 以前、拙稿の抜き刷りをお送りした際にお手紙を下さったことがある。その中に、ときには「泥臭さも必要」というようなことが記されていた。今日、そのことばの意味がわかったような気がする。